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院長自己紹介

【誕生〜大学入学 編】



 私は昭和41年2月26日に誕生しました。
安楽博史院長 誕生


 翌年4月に父は鹿屋市に「安楽歯科医院」を開業しましたので、私が物心ついたときから父は開業歯科医でした。
安楽博史院長 幼年時代
安楽博史院長 少年時代
 自宅と診療所が同じ建物でしたので、幼い頃より父の仕事する姿を見て育ちました。当時は今よりもむし歯も多く、歯科医院も少ない時代でしたので、朝早くから夜遅くまで父は忙しく働いていたという印象が強いです。そんな懸命な父の姿に憧れ、自然と自分も同じ歯科医師になりたいと思うようになりました。

 母は、私が一人っ子であるためか大変甘えん坊であったため、自立心を育てようと、早くから幼稚園に出したり、ボーイスカウトに入団させたりと、心を配ってくれたようです。中でもボーイスカウト時代(小3〜中3)までの体験は貴重なものでした。今でもこの頃知り合いになった方とは親しくお付き合いさせていただいています。

 父は休日に自宅にいないことが多かったので、母はよく祖父のところへ、私を連れていってくれました。やさしい祖父でした。祖父は内科・小児科の町医者で、よく往診に一緒にお伴させてもらいました。今現在、自分が在宅診療に自然と携わるようになったのも、そんな祖父の影響が大きいと思います。

安楽博史院長 学生時代
 その後幼稚園・小学校・中学校・高校は自宅からすべて3km以内という超地元で育ちました。





【大学時代 編】

  

 父の母校である「日本歯科大学」に進学しました。

 希望していた東京ではなく、新潟の学部となりましたが、今考えるとこれがよかったと思っています。
安楽博史院長 出身大学

 まず第1は、南国鹿児島ではなかなか経験できない雪国の生活ができたこと。気候風土が異なると、人柄や考え方・価値観も違うのだということを実感できました。また同時に地元鹿児島(特に鹿屋)がわかりました。もっとも初めて冬の日本海を見たときの衝撃は強烈でしたが・・・。演歌が理解できるような気がしました(笑)

安楽博史院長 友人その1
 第2は、当時の新潟歯学部は地方出身者が多かったということ。自然と関東地方を除き、北は北海道から、南は沖縄まで友達ができました。大学時代の友人は私の財産です。
安楽博史院長 友人その2
 第3は、新潟歯学部は部活動が大変盛んであったことです。私は軟式テニス部に入部しましたが、常時50人を超える大所帯の部活でした。とにかくまじめに取り組みました。一時は本業の勉強よりも熱心だったかも・・・(苦笑)仲間や先輩・後輩と一緒の練習・合宿・試合などの体験は生涯の思い出です。今でもOB会などに参加すると、皆で平気で一晩語り明かしたりできます。当時はきつかったけど、楽しい時間でした。部活で学んだことは多く、今も大いに役立っています。

 大学6年の登院実習の中で、内科学の教授に「君たちは将来どんな歯科医師になりたいか?」という質問をされたことがありました。そのときの私は「家族みんなが安心してかかれるホームドクターになるのが夢です」と答えました。その思いは今でも変わっていません。
安楽博史院長 卒業アルバム





【研修医時代 編】


 大学を卒業後は、父との約束でしたのですぐ鹿児島へ帰ってきて鹿児島市立病院歯科口腔外科の研修医にならせていただきました。

 当時、上司となる3人の歯科医師がいらっしゃいましたが、皆さん病院歯科・口腔外科・障害者歯科のスペシャリストでした。卒業間もない駆け出しの私に、歯科医師としての基本をそれぞれの先生から教えていただきました。
安楽博史院長 研修医時代

 また妻ともこの研修医時代に出会いがありました。

 市立病院には約3年間お世話になりましたが、言葉では表現しきれないほど感謝しています。





【安楽歯科開業(旧診療所) 編】


 平成6年3月、研修医の任期が終了する直前に父が心不全で急逝しました。

 実はもともとその年の4月から改装工事をする予定でしたので、父の葬儀の後改装工事で2カ月休院。
安楽博史院長 旧診療所

 平成6年5月下旬「安楽歯科」開院。

 当初は父の頃と同じスタッフ(助手1名、技工士1名、受付は母)構成でスタートしました。

 口腔外科の経験から、滅菌・消毒には開業当初より努力しています。経費もかかりますが、皆様に安全な医療を提供させていただくためには、絶対に必要なことと考えています。
安楽博史院長 診療所内装

 平成6年6月18日、結婚。それにともない受付は妻に交代しました。

 平成7年4月、初の歯科衛生士を採用。予防歯科をベースとした私の診療スタイルには、歯科衛生士は必要不可欠な、大事なパートナーです。

 平成8年2月、長女誕生。私と誕生日は一緒というサプライズつき。当時妻は長女をおんぶしながら仕事を手伝ってくれました。

 またこのころより訪問歯科診療を開始しました。本当にお困りの方にサービスを提供できる在宅診療は私のライフワークです。

 平成11年10月、長男が誕生しました。
安楽博史院長 スタッフ
 このころよりおかげさまでお越しいただく患者さまも徐々に増え、それに伴いスタッフも少しずつ増員させていただきました。

 平成12年鹿児島県のモデル事業に参加したのがきっかけで、口腔ケアへ取り組み始めました。口腔ケアはこれからの高齢社会において、歯科医療関係者に課せられた責務だと考えています。

 平成14年ごろ、駐車場不足・施設の手狭さが深刻な問題となってきました。





【移転開業〜現在 編】


 平成15年6月、現在地に移転させていただきました。

 そもそも私どもの診療所は「地域に密着したオーラルヘルスプロモーションセンター」をコンセプトとさせていただいています。ですから地域の皆様のお役に立ちそうなことは積極的に参加させていただいています。

 平成21年度〜23年度に、鹿児島県口腔保健協会事業「鹿屋市3歳児むし歯なくし隊」委員を務めさせていただきました。市民の皆さんと一緒にする歯科保健事業は大変刺激になりました。

 平成22年度〜23年度は、「大隅地域における障害者歯科診療体制構築モデル事業協議会」会長を務めさせていただきました。大隅地域の日帰り全身麻酔下治療のスタートのお手伝いをさせていただきました。

 また平成23年には、国立療養所「星塚敬愛園」歯科と協力歯科医の契約を結びました。これにより従来の鹿児島大学・鹿児島市立病院・大隅鹿屋病院に加え、さらに高次歯科治療の紹介システムを充実できました。

 平成25年5月現在、総スタッフ15名(常勤歯科医師1名、非常勤歯科医師3名、常勤歯科衛生士5名、非常勤歯科衛生士2名、その他常勤1名、非常勤3名)で、「安心・安全・快適な歯科医療空間づくり」という私たちの目標をめざして、地域の皆様の健康のために、全員で歯科医療サービスをさせていただいています。

  
  

 今後ともよろしくお願いいたします。





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